ただ言いたいだけです。

十数年ぶりに漫画熱が復活した昭和生まれ。主にドラマと漫画のネタバレありのスカスカな感想をたれ流すブログです。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のぼんやりした感想

※ネタバレ感想

 

 

 

頭を整理する為に書いてます。

自分は10代の時TVアニメ版を見て、数年前に新劇場版三作を見て、つい最近旧劇版二作を見たという後追い勢です。エヴァは熱心に追いかけてきたわけではないけどなんか気になるんだよなアイツ……みたいな存在です。

 

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」で初のエヴァを劇場で見るという体験をさせてもらったわけですが、見に行った理由は完結するからというよりも単に「Q」のその後が気になったからという方が強かったです。しかし見終わってみるとTV版、旧劇、新劇、漫画も含めての完結編だったんだなあ、と何だか感慨深い気持ちになりました。(漫画は自分は未読ですが、「シン」のある場面で疑問に思ったことが漫画で描かれているらしいです。その場面のことは後ほど。)

そして旧劇版見ておいてよかったです…巨大綾波や突然の下書き画や実写映像に振り回されずに済みました。

 

正直、今までのシリーズと違って分かりやすい説明のある完結だったとはいえ、専門用語は多いし補完計画や槍やインパクトの発生、アスカの左目の真相うんぬんなどよく分からんところはありました。そして庵野監督の考えも分からない。自分はその辺深く考えることはせず(分からなくていいやという位置付け)、単に作品見てぼんやり思ったことをぼやっとした文で書きます。

 

・なぜシンジだったのか

「序」だったか「破」で「なんで(エヴァに乗るの)僕なんですか」と問うシンジにミサトが「それが運命だからよ」と答えていた気がするのですが、なぜシンジなのかが正直これまでぼやけていた印象でした。TVアニメ版見た時は自分もまだ10代であり子供がよくわからんものに乗り敵と戦うことに何も疑問を持たずに私も世界救いたい…………ぐらいの気持ちで楽しんで見ていた記憶があります(最終話は、あ、へ〜こういう風に終わるんだ。ぐらいの感想)。

 

しかし大人になり見返すと

おいなんで子供にやらせんだよ、ゲンドウ、てめーツラかせ、体育館裏来いや。となる。

そんなんシンジは主人公だからエヴァに乗るんだよ!!と言われればそうなんですけど、今回の「シン」でアスカもはっきりとエヴァに乗るために作られた子供ということが言及されていました。マリとカヲルも出自ははっきりしないけど組織の為に存在するように仕組まれたと考えられ、そうなるとシンジと他のメンバーの違いってシンジだけが両親が愛し合って産まれた子供であるということ。エヴァに乗るために産まれた訳ではないけど、母ユイが研究に加担していたということもありエヴァに乗れる素質があった、というのが自分の勝手な見解。

というかエヴァは大雑把に言ってしまうと「愛されずに育った子が親になりその子供が背負う負の連鎖」みたいな物語だったのではないかと。ゲンドウの出自や生育環境が最後に明らかになりました。自分の想像の範囲内だし、正直、ゲンドウに対してはいい大人が取り返しのつかないことすんじゃないよ!!ぐらいな気持ち。

ユイという最愛のパートナーを失った絶望から地球を巻き込んだやらかしに発展したとはいえ、ゲンドウとユイの愛情をようやく感じることが出来たシンジしか全てを救うことは出来なかったのかなと思います。陳腐な言葉だけど「愛が地球を救う」に結果的にはなったのかな、と。

 

「父さん、話をしよう」この言葉が出るまでのシンジのこれまでの葛藤は何度も描かれてきましたが、あの廃人状態から立ち上がったのは村での自給自足の生活と見守ってくれた同級生らであって。あの穏やかに過ごしたほんの一時で周りの愛情を感じたからこそシンジは「父さん、話をしよう」とまっすぐ伝えられたんじゃないかと思います。いや、なんなら村の平和な生活のままこのまま終わってくれ…と半分思ってました。

 

・大人の責任を果たすこと

いや運命なんかで片付けないでくれよ、なんでシンジに誰も詳しく説明しないの〜〜ってぶっちゃけ今まで思ってましたが、ミサト率いるヴィレが生存者を確保し生活の基盤を整え、未来を見据えて戦いに挑み、そして彼女がシンジの選択に全ての責任を負うと宣言する姿にはくるものがありました。もう「ちょっちね〜」と言ってくれるミサトはおらん。次の世代に託すという役目をかって出たミサト、そしてリツコの友情もぐっときました。あやふやに終わらせない、という製作陣含め確固たる意志を感じました。

 

・アスカの「ケンケン」呼び

トウジとケンスケとヒカリが出てきた時はおったまげたと同時に安堵の気持ちが湧きました。アスカはケンスケの所に身を寄せ、好意を持っている様子が伺えましたが、アスカってこれまで同世代の子らを呼ぶ時「バカ」とか「メガネ」とか「ロボット」とかそんな感じだったのに、「ケンケン」?だと?シンジが眠っていた14年という年月を一番感じたのは「Q」でそっけないミサトを見た時ではなく、今作で全うな大人になったトウジとケンスケを見た時だったかも。過程は描かれなくてもアスカがケンスケに惹かれるのも自然な流れだったのかもしれない、となりました。

「新劇場版」シリーズで思ったより私はアスカに入れ込んで見ていた気がします。廃人となったシンジを正論で罵倒しながらも食べ物を無理やり口に押し込むのもこっそり影から見守るのもアスカの優しいところだと思ったし、シンジのこと好きだったんだと思う、という言葉もアスカが大人になった証拠。シンジと同じぐらいアスカにも救われて欲しいと思ったし、なんならケンケンとアスカのハッピーツーショット最後にくれよ……と思わなかったと言えば嘘になります。

 

・マリとカヲル

最後の最後でカヲルの部下だった加持、ゲンドウと冬月の学生時代の写真にマリと思われる人物が写ってて、エ!!この二人中年だったのか…となりました。マリは漫画でユイの後輩らしいのですが、冬月とも旧知の仲っぽい感じがしたし、ますます謎が深まった二人ではありました。マリは特に達観してて踏み込まないけど肝心な時はやってくれる安心感のある姉御肌でアスカも信頼している感じでした。カヲルはずっとシンジを見守り続けた存在……?まあでもネルフに振り回された子であったことは違いない。そしてマリも海外にいたけどそんな感じ…?分かりません。最後にすべきことを終えたシンジにマリが手を差し伸べます。マリだけは救済対象でなく同じ記憶を持つ同士としてシンジに寄り添った人であり、だからこそのあのラストなのかも。

 

・あなたか世界かを選ぶのではなく両方救う

ラストの感想になりますが、これまでの話はシンジが目の前のレイやアスカを救うことを選んだ結果、世界が更に破滅に追いやられるという難儀な道が示されてきました。そしてこの「シン」は最後の最後で目の前のあなた(アスカ、カヲル、レイ)も救い世界も救うという道を見せました。自分の解釈としては、このラストは目の前にいる人を救うことが世界を救うことに繋がる、ということなのかなと思います。そして現実もこうなるといいよねという希望も含めてのあの実写映像のような気がしました。エヴァが存在しなかった世界でもなくifでもなく、シンプルにその後の世界(となんとなく自分は思いたい)。精神世界で電車内に閉じこもっていたシンジがちゃんと大人になり大切な人の手を取り外の世界に旅立っていく。非常に地に足つけたラストだ…となったし大人になったシンジ見せてくれてありがとう…という境地になりました。(あの海辺の場面で終わってても多分自分は納得していたと思います。)

あと自分はエンドロールのあの俳優の名前見て声出そうになりました。まじで粋だなと思ったのはこの俳優さん、公開されたこの2021年に28歳になることにも偶然だけどスゲーーーと勝手になりました。(14年眠っていたけど年齢は28歳だもんな…)

 

25年も続いた難解壮大な物語の完結を見ることができてよかったです。楽しませてくれてありがとう。感想終わり。